後ろに引けない僕のエッセイ

後に引けなくなった僕の日記です

僕の中の作ることとメイドイン俺

僕の中心にあるのはなんなのだろうと思いながら絵を描いていた事がある。

特に執着の無かった僕は運動や勉強にのめり込んだことはなく、記憶にあるのは何か物を作り上げる類のゲームをやっていたことだ。

僕の小さい頃リリースされた、メイドイン俺というゲームがある。

メイドインワリオというゲームから派生した、ゲームを作るゲームで、簡単な5秒から10秒のミニゲームをDSのみで手軽に作れるという代物だ。

ゲームを作るゲームというものは小学生の僕にとっては革新で、朝5時までのめり込んで遊んでいた。当時DSを親に管理されていた僕は、親の目を盗んで細々と何百本というミニゲームを作っていた。その中で出来たのが、いやーんこわーいゲームである。

1つの棚を埋めるほど製作されたそれらは、特に脈絡もなく何かグロテスクな事が起こり続け、そしてそれは一切プレイヤーに説明されずに発生するという理不尽極まりないものであった。小学生というのはグロい=面白いと紐付けるもので、僕はそれを作って友人にやらせて楽しんでいた。ものを作って人に評価されるというのは、モノ=僕となっていた僕の世界において、僕自身が評価されたような錯覚に陥らせた。僕は作品と作者とは(実際作者が問題を起こすと作品に対する目も変わるから完全に切り離されたものではないのだろうけど)切り離されたものだと考え始めたので、最近では僕の作品を褒められると息子というか、自分で自分じゃない何か、しっぽのようなものを褒められた心地になる。僕の中の創作は自分の子供を作り続けるような感覚になり始めたのだ。