後ろに引けない僕のエッセイ

後に引けなくなった僕の日記です

僕の中の作ることとメイドイン俺

僕の中心にあるのはなんなのだろうと思いながら絵を描いていた事がある。

特に執着の無かった僕は運動や勉強にのめり込んだことはなく、記憶にあるのは何か物を作り上げる類のゲームをやっていたことだ。

僕の小さい頃リリースされた、メイドイン俺というゲームがある。

メイドインワリオというゲームから派生した、ゲームを作るゲームで、簡単な5秒から10秒のミニゲームをDSのみで手軽に作れるという代物だ。

ゲームを作るゲームというものは小学生の僕にとっては革新で、朝5時までのめり込んで遊んでいた。当時DSを親に管理されていた僕は、親の目を盗んで細々と何百本というミニゲームを作っていた。その中で出来たのが、いやーんこわーいゲームである。

1つの棚を埋めるほど製作されたそれらは、特に脈絡もなく何かグロテスクな事が起こり続け、そしてそれは一切プレイヤーに説明されずに発生するという理不尽極まりないものであった。小学生というのはグロい=面白いと紐付けるもので、僕はそれを作って友人にやらせて楽しんでいた。ものを作って人に評価されるというのは、モノ=僕となっていた僕の世界において、僕自身が評価されたような錯覚に陥らせた。僕は作品と作者とは(実際作者が問題を起こすと作品に対する目も変わるから完全に切り離されたものではないのだろうけど)切り離されたものだと考え始めたので、最近では僕の作品を褒められると息子というか、自分で自分じゃない何か、しっぽのようなものを褒められた心地になる。僕の中の創作は自分の子供を作り続けるような感覚になり始めたのだ。

 

今日から俺は

タイトルとは一切なんの関係もないのだけれど、後に引けなくなったから僕は日記を書こうと思う。

そもそも僕は絵を仕事にしたくて、それまでこうして数年間生きてきた訳だが、いよいよこうして社会に放り出されるとそれも何だか、ちゃんと意味を持たせないといけないなと考え始めたのだ。

社会、とりわけ日本の社会は僕のような高卒でなんのプランもある訳でもなく生きている輩を、良しとしない空気があるのはひしひしと感じる。というのは担任も、大学に行くのだろうと当たり前のように聞いてくるし、僕もなんだか後ろめたいというか、迎合してしまう弱い精神からはい、そんな考えですと言ってしまった訳で、表面上はやはりそのように考えているようにしないと、体裁というものがあるなと僕自身もその空気に乗っかってしまっているからだ。もちろん心にも無い発言ではあるのだが、そう言ってしまうことを後ろめたく思う事こそ僕は気持ちが悪い。

僕は子供の頃から漫画が好きで、読むのも描くのも楽しんでしていた。運動とか勉強でもそうだと思うが、芯から好きなことは言われなくても自ずとやっているもので、そう考えれば僕は漫画を描くことしか楽しく生きていく術はないような気もする。その頃から自己顕示欲の塊であり、反面人と喋るのを苦手としていた僕は、漫画を描く事で人より目立つという手段を手に入れていた。結局僕の行動原理は、この大きな自己顕示欲に全て基づいているものだと思う。

僕の生きる意味は僕が幸福を感じることだ。その為にもこの僕のやりたいことを生業と出来れば、満足して人生を終えれるはずだ。